北海道の歴史文化

未来を拓く志がエンジン!北海道開拓物語

北海道開拓は、日本の近代化への原動力

札幌農学校第2農場(北海道大学内)

1869年、明治政府は開拓使を置き、蝦夷地を「北海道」と名づけました。ここから、日本の近代化のための資源開発を目的とした北海道開拓がスタートします。札幌や小樽を中心として、道路・港湾・鉄道の整備や、鉱山の開発、官営工場の設立などが次々と行われ、北海道の産業は発展していきました。

開拓を担う人材の育成も同時に行われ、この時期に開学した「札幌農学校(現在の北海道大学)」では、新渡戸稲造や内村鑑三などが学びました。

クラーク博士をはじめ、活躍したお雇い外国人

クラーク博士胸像(北海道大学内)

それまで鎖国していた日本は、特に自然科学の分野で欧米に遅れをとっていました。そこで明治政府は、最新の知識や技術を取り入れるべく、諸外国から専門家を日本に招きました。

北海道では、開拓使長官の黒田清隆が招いた、アメリカ政府農務局長のケプロンが開拓使顧問となり、札幌農学校の教頭となったクラーク博士などの優秀な人材を次々と呼び寄せました。12年間で78人にものぼったお雇い外国人は、北海道に高度な学問や技術をもたらしました。

事前学習 参考サイト
北海道歴史・文化ポータルサイト AKARENGA北海道観光公式サイト GoodDay北海道